先祖に合掌すると

毎日朝と夕方に仏壇の前に座り蝋燭に火を灯し線香を添え合掌しています。別に誰に言われた訳でもないのですが。
そんな中で1週間に2回は20分間のCDのお経を聞きながら座っています。通常は5分の蝋燭ですがこの時は20分の蝋燭です。
ちょうどお経の時間と蝋燭の時間が良い感じです。
何を考えるでもなくじっと蝋燭を見ています。見る人から見れば危ない奴と思われがちですが精神が集中できます。
こう言う事を言うと時間があって言いねと言う人もいますが、時間があるからするのではなく時間を作っているから出来ると思って頂きたい。
自身の好きな事を時間があるからするのではないはず、時間を作るから出来るのではないだろうか。
時間を作ることは自身の都合に合わせる事には出来るが、そうでない場合は時間を作ろうともしないそれが人間でしょう。
庭先の草むしりをする人とそれを見て時間に余裕があるねと言う人との大きな違い、それは良く考えれば分かる。
するかしないか。ただそれだけである。
それすら考えない人の多い事。「見猿、言わ猿、聞か猿」何も出来ないならこれを実行せよと言いたいものです。
と仏壇の前に座る様に成るとと考える様になりました。

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