私の故郷にある宝物 第3弾

太平洋戦争末期に沖縄戦へ向けて若者達が片道切符で飛び立って行った悲惨な特攻基地。計画した者は後方に、前線で命を落とすのはいつの時代も若者達である。20歳前後の若い隊員達は、国をおもう純粋な気持ちであったろうが---。
特攻平和会館は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示して当時の事情を後世に正しく伝え世界恒久の平和に寄与するものです。知覧特攻記念館HPより

 

私が若かった頃、母に強引に連れて行かれた場所です。「あなたも少しは自分と向き合いなさい」と言っていた様な?展示してある零戦を見て感動「格好いい」と思った数分後には有る場所で何気なく見た特攻隊員の母への手紙を見て人目を気にせず、号泣していた私がいました。

 

戦後に生まれた私には想像も出来ない悲しい時代での出来事です。

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