求めてばかりいないで、与えることを考えよう
臨済宗の僧 至道無難の言葉
ある夏の暑い盛り、至道無難が道を歩いていたら、神社で熱心に神様に祈りを捧げている一人の農民の光景が目に入ってきました。
「おまえさん、何を祈っていたのだい?」
至道無難がこう尋ねると、農民は次のように答えました。
「わかりきったことを尋ねるなよ。今年は豊作でありますようにと祈っていたのだよ。ここ数年、毎年、不作続きだからなあ」
すると、至道無難は農民にこう言ったのです。
「以前、豊作が続いたときに、おまえさんは神様にお参りをしたかい。感謝の言葉が一つもなくて、自分が困ったときだけ、神様にお願いしていないか。
これでは神様だって『礼儀知らずな奴だ』ということで、不機嫌になってしまうよ。
今からでも遅くない。神社にお礼をしなさい」
至道無難の教えは、現代を生きる私たちにとっても大いに参考になります。
人と神様の事だけでなく、時に人と人の間にも同じことが言えるのではないでしょうか
現在に置き換えて人と人の間柄では物事を頼む人あれば、物事を頼まれる人があります。
頼む人と頼まれる人の違いとは何でしょう。
それは物事を知っているか知らないかの違いではないでしょうか。
知らないから依頼する。知っているから依頼を受ける。です。
しかしその以来の中に厄介な事があります。それは『欲』です。
時に『欲』は依頼する内容の範囲を超えます。その超えた範囲の先に有るものを依頼を受ける側は知っています。
ただ言わないだけです。
『欲』は物事に亀裂を生みます。そして徐々に亀裂は広がります。
月日が経ったある日に突然、避けてしまうのです。それは後悔としかなりません。
『欲』が先走り『夢』は置き去り。
物事のために思い描いていたのは『欲』だったのでしょうか
それは違うでしょう、きっと『夢』だったと思います。
至道無難の言葉にふっと立ち止まることが出来れば『欲』から『夢』へと気付いたのかも知れません。
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