寄付
私の人生56年にして初めて寄付と言う事をしました。何故、寄付したのだろう?今まで思った事も無かったのに今回はしました。
ニュース等で寄付の事を聞くと「余裕のある人は違うよなあ」とつぶやいたり。「寄付するならこっちに寄付してよ」と嫉んだり。
最低な人間だったと思います。
今年に入り「コロナウィルス」が感染爆発し、日本も大変な事に成りました。
目に見えない突然、襲われるウィルス感染は死と直面する恐ろしい病気です。
なんせ医療従事者も感染リスクがある訳で亡くなられた方もおられる。「人の為に命を投げ出す行為」私には出来ません。
そういう行動を取る人は私などの物差しでは測れない何かを持っている。それを行う事が自身に与えられた責務と捉えて。
連日、その報道を見て聞いている内に自身の愚かさに情けなくなってきました。
「自分は何をしているのだろう?」どこどこで感染者が出たらしいと聞けばそこは危険だと感じ。その感染者があの病院にいると
聞けばあそこはもう行けないと思う自身の何とも言えない心の内容に「これで良いのか?そんな事しか考えれないのか?」と
少しずつ頭の中に浮かんでは消えて行く事が増えて行きました。
そんな時、西尾市民病院の院長がニュースに出て感染防止の医療器具が足りませんと言っておられた。
その時、私の中で何かが変わった気がします。「西尾市は何をやってんだ!」「中村健市長は何をやってんだ!」と怒りが込み上げて来ました。
即、パソコンの前に座りamzon、ヤフーオークション、メルカリ、ジモティーなどを検索。しかし何時の到着かは不明。
しかし注文しなきゃと行動に移しながら、カーマ、コメリなどで医療器具の足しになればとゴーグル、ポンチョなどを購入。
又、以前購入していたマスクを販促用にと用意していたが、ありったけのマスクも西尾市民病院に持って行こうと決意したのでした。
西尾市民病院の管理課、西尾さんに手渡した時言葉になくとも感謝の心が私の心に届きました。同席に西尾市民病院の看護婦長もご挨拶に出て来られていた。
思わず婦長に「婦長、絶対にコロナに感染しては行けませんよ」と言葉をかけた。婦長は「ありがとうございます」と一言。
ここで「分かっております」ではなく「ありがとうございます」の言葉は医療に携わる者の覚悟を感じました。
病院とは生と死がある場所です。そんな所で従事する人たちは凡人には分からない域に達した人たちなんだと改めて感じました。
病院を後にする時も見送って下さいました。
本当に寄付して良かった。
余裕があるからではない。寄付されるのは嬉しいが寄付するのは嫌だと言う感情は人間の底辺にいる者の考えと思えました。
他人は不幸せでも自分は幸せなりたい。人は水を飲め、私はコーヒーを飲むと言っていた自分が何だったのかと思う。
2020/5/29、東京、大阪、北九州で新たに感染者が出て来ています。これはここだけの問題ではないでしょう。
きっと愛知県でもあり得る話です。感染が出てからでは遅いその前に準備すると言うのに意味がある。
感染者を助ける事が出来るのは医療従事者だけだ。その所を忘れて西尾市民病院の心無き口コミを送る人間がいる。
自分の思いのままにならない、匿名であれば何とでも言える。
何かが違うのではないか?病院はサービス業ではない。腫れ物に触る様に治療することが医療と感じる者は漢方でも飲んでいろと言いたい。
西尾市民病院の関係者の皆さん、本当にありがとう。